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  • ——もう腹筋が痛い……改めてとんでもない青春時代ですね。
  • bambooでも、16歳くらいからバンドはやっていたんですよ。丁度バンド・ブームの真っただ中だったから、「今はバンドが熱い!」とか言って光はギターをはじめて、俺はC-C-Bが好きだったから、ヤマハのDD-5っていう電子ドラムを買って、近所の楽器屋にあったスタジオで練習をはじめたんだな、確か。はじめにやった曲は確か……ブルーハーツの「街」だ。
  • 一番星そうそう。その後でZIGGYのコピーやったりね。
  • bambooその頃から、地元のバンドをオーガナイズしてライブをやったりしてたな。今とあんまり、やってること変わんないけど(苦笑)。
  • ——そのまま、milktubに?
  • bamboomilktubとして活動を開始した時は、バンドじゃなくて、テクノ・グループみたいな感じだったんだよね。当時は電気グルーヴがすっごく新しかったから、「かっこいいねぇ、やってみよっか?」みたいなノリなんで。とにかく新しいもの好きだったなぁ。
  • 一番星そこは今も変わんないけど、「なんか楽しそうじゃん」っていうのが第一なんだよね。
  • bambooあとは「モテそうじゃん」だね。
  • 一番星その頃は本当にテクノに寄っていて、ライブ見るよりクラブに行く方が楽しくなっちゃったんですよね。そしたらみんな「ドラムいらなくね?」なんて言い出すから、bambooがいじけちゃって(苦笑)。その時はじめて、“ボーカリストbamboo”が生まれたんだよね?
  • bambooそうだね。電気グルーヴでいうところの、ピエール瀧のポジションがいいなぁと思って、フリーダムで(苦笑)。その当時のmilktubは、シンセ3台あって、ダンサーが2、3人いたんですよ。ダンサーがまたひどくて、ジュリ扇持ってジュリアナ・ダンス踊ってるやつがいたり、岡村(靖之)ちゃんダンス踊っているやつがいたり。頭のおかしい集団ですよ。その頃大学でもバンドをやってたんだよね、milktubと掛け持ちで。そしたら、大学のバンドの方が忙しくなっちゃった。光も光で、X JAPANのコピーバンドとかやったりね。でもmilktubというバンドは〈面白いことやる場所〉として存続していって。それで1999年くらいに、当時、コスパ(コスプレ・ダンス・パーティー)で仲良くなった声優の伊藤瞳子と伊藤硝子姉妹に「PCゲームの曲作れる人探しているんだけど」と言われたんですよ。「音楽作って金もらえるなんて、そんなに良いことないなぁ」と思って、請けるようになって。今思うと作曲とかいうレベルでもなくて、真似ごとだったよね?
  • 一番星そうだねー。
  • bambooその頃は、俺も大学出て玩具プランナーをやっていて、PSのゲームとかも作っていたんですよ。その後にPCゲームを作る方に行くんだけど、milktub自体は、活動してるんだかしてないんだか、分からないような状況が続いていて。
  • ——でも学生時代のバンドって、社会になる頃にはメンバーも散り散りになっていきますよね?
  • bambooそうそう。最終的に光と俺と、遠玉ってやつの3人になっちゃって、PCゲームの仕事をするようになった頃には、もう遠玉もいなかったな。
  • ——なぜ、2人はmilktubを続けようと思われたのですか?
  • bambooだって俺、milktubっていう刺青入れちゃったんだもん(苦笑)。
  • 一番星遠玉がポロッ言っただけのバンド名が、ある日bambooの肩に入ってて(苦笑)。これは続けなくちゃダメだなと思ったんだよね。その遠玉はもうとっくにバンドを辞めてるんだけど、俺は辞めるに辞められなくて。
  • bambooしかも、後で「milktubってどういう意味?」って聞いたら「金玉」って言われて。「俺“金玉”って肩に入れちゃったよ!」って(笑)。金玉4つも背負っちゃったら、もうやるしかないじゃない……。まあ、やるんだかやらないんだか、グダグダしていた時期があったから、「俺はもう音楽で食っていく!」っていう決心も込めて、入れたんですよ。というのも、ZIGGYの森重(樹一)さんが“ZIGGY”って入れてるのを見て「俺も入れようと」と思ったんだけどね。そこもまた中二病臭いでしょ。
  • ——でも、自分たちのバンド名を背負うのは、かなりの決意ですよね。
  • bambooそこで腹決めたからね。
  • 一番星「bambooやっちまったんだからしょうがねーか」みたいな感じですよ(笑)。
  • ——そこで、今のmilktubの形になったわけですね。
  • bambooその当時は、シンセとギターで曲作っていたんですよ。「BODY HUCKER」っていう曲とか、「Fu-kin Hi-kin Everyday」っていう曲は、打ち込みで作っていて。今聴くと恥ずかしくてしょうがないですよ。
  • 一番星だって、家と練習スタジオで録ったんだもんなぁ。
  • bambooお金もなかったしね。DTMも全然発達してなかったし、音声補正ソフトとかもなかったし。本当に大変だった……。その頃、とあるバンドもののPCゲームに関わったんですよ。そこで「バンドものっていいなぁ……」と思い始めて。その当時は、自分たちの作った曲を他の上手い人に演奏してもらっていたんだけど、後々は自分たちもバンドとして参加できるようになろうと思っていたんですよ。そういえばその頃は、今はElements Gardenとしてブイブイ言わしている上松範康、藤田淳平、藤間仁がまだ丁稚だった頃ですよ。だから、俺は彼らにすごくシンパシーを感じているんだよね。本当に、弟みたいな感じで。
  • ——YURIAさんや佐藤裕美さんもそうですが、苦労時代を知っている仲間がいまだに活躍しているのは、嬉しいですよね。
  • bambooうん、嬉しいです。本当に「良かったね」って思えるんですよね、今。。その2人とはいまだに一緒に仕事をしているわけだし。戦友ですよ。
  • ——その後、『グリーングリーン』ですよね?
  • bambooですね。もうテクノの波は去っていて、俺が本当にやりたかったロックンロールをやろうと思っていて。その当時は、KEMURIとかの影響でスカパンクがやりたかったんですよ。でも、全然ウケるとは思ってなかったな。「一部のマニアックなやつが喜んでくれればいいや」と思って作ってきたけど、それをひたすら続けて今に到る、って感じ。何でライブを主体にしたイベントをやり続けようと思ったかというと、まず第一に自分がやりたいから。第二に、PCゲームのプロモーションって制作スタッフがどうしても関わってできて行くものなんだけど、そことは完全に切り離したプロモーションで、しかもド派手にできるものだったからなんですよ。おかげさまで、俺には学生時代に培ったイベントをオーガナイズするスキルもあったし、施工のバイトとかもやってたから、全部を自分一人でできたんだよね。
  • ——なるほど。お客さん、ファンと一緒に歩んできたという意識は、やっぱり強いですか?
  • bamboo強いですね。やっぱり楽しみにしてくれる人がいると違うし、「続けてきて良かったなぁ」と思えるから。これからもこの先も、変わらずにやっていこうと思えるからね。
  • 一番星そのスタンスは変わらないよね。変わらないというか、他を知らないから変えようがないというか(苦笑)。
  • bamboo俺達がまだ24、5歳だったら、「ガンガン上を目指していきますよ!」みたいなことを言っているのかもしれないけど。
    本当に、変わらないんだろうなこの先。でも、夢はあるんですよ。自分はゲーム作りながらバンドもやれるという稀有な立場にいるわけだから、これを最大限に生かして、ゲームに絡めた架空のバンドをもっと作って、そこにmilktubも加えた何組かで野外フェスがやりたい! 4,5000人くらい集めてね。野音(日比谷野外音楽堂)でやりたいんですよ。なぜなら空気が無限にあるから!
  • 一番星確かに! 酸欠になっちゃうから、それは重要だ(笑)。
  • bamboo2008年はいろいろあって、すごく充実した年にはなったけど、まだまだ「成し遂げた」みたいな思いは湧いてこないんだよね。やっぱり、まだ途中だと思っているからだと思うんだけど。目標はきっちりと持ちながら、でも続けることを大切にして、このまま変わらずに活動を続けていきますよ。
  • 〈次回の更新はニューロティカとの対談!お楽しみに!〉