21年目の新たな決意 nano.RIPE 公式インタビュー

結成20周年を迎えた2018年を、バンドの新たなスタートになった6thアルバム『ピッパラの樹の下で』とともに駆け抜けてきたnano.RIPEが新曲「アイシー」とともに新たに動き出す。そこでバンドを代表して、きみコにインタビュー。アコースティック・ギターの音色が印象的なバラードに仕上げた「アイシー」についてはもちろん、昨年8月21日に急逝した元メンバー、青山友樹(Dr)を偲んで、全国4ヵ所で開催する春のワンマンツアー「ゆうきのきのみ」についても訊いた。21年目の新たな決意を語るきみコの言葉からは、nano.RIPEがさらに強くなったことが感じ取れるはずだ。


“自分のためにしか歌わない”と言ってきたあたしが“あなたのために歌っています”と言ってもいいんじゃないかって思えるようになった

──今日は、結成20周年という一区切りをきっかけに考えたり、気づいたり、それこそ決意したりしたことなどについて、いろいろ聞かせていただきたいと思います。早速ですが、結成20周年のアニバーサリー・イヤーを経て、今、どんな思いや考えがきみコさんの手元に残っているのでしょうか?

けっこう大きなものが残ったと思います。そんなに考えることなく、ばーっと走ってきたら、いつの間にか20年経っていたという感じなんですけど、改めて20周年と掲げて、(ササキ)ジュンといろいろ話しながら1年過ごしてみた結果、20年続けてきたことは、やっぱり財産なんだなって、今、自分たちでも感じています。その上ですごく変化したと言うか、今一番、あたしが自分でもびっくりしているのが、これまでステージでも、ステージではないところでも、“あたしは自分のためにしか歌わない。自分が歌いたいから歌っている。それを誰かが喜んでくれたら嬉しいし、嬉しいからまた自分のために歌う”と言ってきたあたしが、それはちょっと違ったんじゃないかと感じていることなんです。“人のために歌う”って言葉としてけっこう重たいと言うか、押しつけがましいような気がして、あたしは使ってこなかったんですけど、でも、誰かが笑ってくれたり、喜んでくれたりっていうのは、やっぱりすごくうれしいことなんですよ。それをいろいろな人に応援してもらいながら、20年続けてきて、いろいろな人の笑顔を見ることができてというところで、“あなたのために歌を歌っています”って言ってもいいんじゃないかなって自分で、自分に対して思えるようになったんですよね。

──“違っていたんじゃないか”とおっしゃいましたが、違っていたと言うよりは、気持ちがそんなふうに変ってきたということですよね?

そうですね。“誰かのため”って言うと、そこに責任が生じたり、その人のためにがんばらなきゃいけなかったりするじゃないですか。でも、自分のためだったら、“自分がやめたくなったらいつやめてもいいじゃん”って言える。それが一つ自分の心を守る術でもあったんですけど、ちょっとした言い訳にもしちゃってたのかなって。20年間っていう決して短くない時間の中で、たくさんの人と出会って、別れてっていうことを繰り返した上でnano.RIPEが続いてきたってことをちゃんと認めて、向き合わなきゃいけないなって思うようになった気持ちが、“あなたのために”という言葉になったんだと思います。

──nano.RIPEにとって新しいスタートになったと思えた『ピッパラの樹の下で』というアルバムを作り上げたことも大きかったと思うのですが、それをひっさげてのツアーの中で感じたこともいろいろあったようですね?

新たな(サポート・)メンバーと新しいチームで作り上げた1枚というところに、とても価値があると思うんですけど、同時に、そこまでの積み重ねがあったからこそできた1枚という思いもすごくあるんです。新しいアルバムを持って、ツアーを回っているんですけど、昔のことも思い出していて――それはもちろん、青山友樹のことがあったからなんですけど、昔のこともステージで話せるようになったんですよ。今までは、メンバーがジュンとあたしの2人になったことがマイナスイメージにならないようにと思って、脱退したリズム隊の2人(アベノブユキ、青山友樹)のことは口にしないで、未来だけ見ていこうと思って、ジュンもあたしもタブーのように口にしてこなかったんですけど、ちゃんとそれもみんなの前で話せるようになったというのは、さらに一歩進めたからのかな。

──これまでメンバー・チェンジを繰り返しながら、逆にササキさんときみコさんの絆は年々、強くなっていったわけですよね?

どうなんでしょうね(笑)。基本的な関係は、10年目ぐらいからもうそんなに変らないんですけど、やっぱり2人きりになってから、ジュンがより一層、自分がやるべきことを意識するようになったというのはありますね。今まで4人で分担していたことも2人でやらなきゃいけないわけじゃないですか。そうなったとき、“やめた2人の分を、きみコに渡すんじゃなくて、オレがやろう”っていう気持ちの変化はあったみたいで、2人になってからけっこう真面目になったじゃないですけど(笑)、やる気を出したと言うか、本気を出したと言うか、別にそれまでやる気がなかったわけでも、本気を出してなかったわけではないんですけど、何て言えばいいんだろう(笑)。

──僕はお会いしたことがないからわからないのですが、ササキさんってアーティスト気質の方なのかなって。

こだわりがすごく強いんですけど、それゆえにマイペースと言うか、自分が気の済むまで追求しないと、次に進めない人なので、それをずっとやっていると、いろいろなことが進まなくなるから、交通整理をしながらうまいこと操るのがあたしの仕事なんです(笑)。でも、そういうふうに1つのことを、突き詰めて考えるようになってきたのも、バンドが年数を重ねる中で変わってきたところなので、やっぱりジュンもこの20年、自分の今、置かれている立場とか、状況とか、責任とか、いろいろ考えながら変わっていったところはあると思います。

──きみコさんって、きっと目標があったらそこに突き進むタイプだから、マイペースのササキさんに対して苛立つこともあるんじゃないかって(笑)。

ありますあります(笑)。しょっちゅうです。ハハハハ。

──そんな2人は、どんなところで気が合うんですか?

遠慮がないから楽なんです。たぶん家族以上に言いたいことが言えるから、イラッとした時は、“ムカつく”って言えちゃうんです。そうすると、ジュンも言い返してくるんですけど、最終的にはあたしのほうが勝てるので(笑)。そうやっていろいろ物事は進めていくんですけど、バンドを続けていく上でちょっとした苛立ちを溜めていくことが一番良くないと思うんです。でも、あたしは少しも溜めずにいられるので。もしかしたらジュンは溜めているかもしれないですけど(笑)。あたしはもうまったく溜めずにムカついたら、“ムカつく”。イヤだったら、“イヤだ”と言えるのが一番いいんだと思います。つきあいが長い分、ジュンもあたしがこういうことがイヤだとか、こういうところに苛立つとかわかっているので、気が合うと言うよりは、らくちんという感じですね。

──もしかしたら、ササキさんもきみコさんのいなし方をわかっているかもしれない?

わかってきてますね。まだ、完璧ではないですけど(笑)。

──何に対して、言い合になることが一番多いですか?

曲のことが多いですね。それこそ今は、曲をたくさん作ろうって毎日のように2人でスタジオにこもっているので、その中で、“ここのメロディーがちょっとダサい”とか、“ここのメロディーさえ直せばな”とか、あたしがわーって言うと、ジュンは“ここは本当に自信があるから”って言い合いになって、それで歌ってみたら、“意外に良かった。ごめんね”ってなることもありますし(笑)。


友樹が叩いたフレーズや友樹と一緒に作った音は、ちゃんと生き残っているとうことをみんなに伝えたい

──昨年の暮れぐらいから曲作りに取り組んでいたようですね。

前回のツアー(「きせきのつるぎ」)が始まる頃にはもう。『ピッパラの樹の下で』を作り終えて一息ついてからずっと作ってますね。

──“ツアーの中で、21年目のぼくらが、今のあたしが歌うべきものがくっきりしてきた”ときみコさんはツイートされていましたが、今、何を歌うべきだと考えているんですか?

さっきの話と繋がるんですけど、今までずっと自分の気持ちを吐き出すように、歌にしてなんとかおさまるような感情をうわーっと歌ったり、自分のしてきた恋愛だったり、人生におけるいろいろなことを歌にしてきたんですけど、その中で出会った人たちに向けて歌いたいとすごく思ったんですよ。もちろん、世の中で言う応援ソングのようなわかりやすいものには、あたしが書くとならないと思うんですけど、“あなたに向けて歌ってます”って歌を、しっかりとこの21年目に書きたいと思っています。

──今、“恋愛だったり、人生におけるいろいろなことを歌にしてきた”とおっしゃいましたが。

はい(笑)。

──恋愛という言葉だけ、なぜか具体的に出てきましね?(笑)

そうですね。そんなに恋愛ソングが多いバンドではないんですけどね(笑)。でも、曲にするっていうと、大体、自分のことか、恋愛かってなるじゃないですか(笑)。

──ハハハハ。そうですよね。確かに恋愛ソングは多くないですよね。でも、その恋愛ソングの話は、後で聞きたいと思っているんですけど。

あ、そうなんですか(笑)。

──その前にやっぱり聞かなければいけないと思うのですが、青山さんのことが結成20周年という一区切りを経て、新たにスタートするバンドを後押ししてくれたところもあるのかなって。

後押しと言うよりは、むしろきっかけですね。この20年、たくさんのメンバー・チェンジがあって、出会ったり、別れたりを繰り返してきたんですけど、nano.RIPEをやめてもみんな、どこかで違うバンドをやっていたり、音楽とは違う道を選んだりして、ぼくらとは別の人生を歩んでいるというだけの話だと思っていたんです。でも、友樹が実際、会えないところに行ってしまったと思ったら――特に友樹はnano.RIPEが彼にとって一番本腰を入れたバンドに結果的になってしまったわけですけど、彼の人生の大事な期間を、あたしとジュンが立ち上げたnano.RIPEのメンバーでいてくれたことが全然あたりまえのことじゃないということに気づいて。それもあって、“自分のためだけに歌っている”と言い続けるのはちょっと違うのかなってところに辿りついたんです。

──青山さんはnano.RIPEに4年間、いらっしゃったんですよね。5月、6月と、「ゆうきのきのみ」と題した春のワンマンツアーを行うにあたって、「たとえもう二度と会うことは出来なくても、ぼくらが共に紡いだ音はこうして今も生きている。曲は、死なない。歌い続ける限り、nano.RIPEは、死なない。」ときみコさんはバンドのウェブサイトにコメントを寄せていましたが、これはどんな思いで書かれたんですか?

友樹が叩いていた時代を知ってくれている人たちの中には、友樹がもういないってことが受け入れられない、すごく悲しいことだと思っている人もいると思うんです。もちろん、すごく悲しいことではあるんですけど、友樹が残してくれたものがちゃんとあって、その中でも友樹の人生の中で一番、曲として残ったものって、たぶんnano.RIPEの音なんですよね。そういう意味では、nano.RIPEが生きているかぎり、友樹の音もちゃんと生き残るわけじゃないですか。友樹はもういない、もう会えないと悲しむだけじゃなくて、友樹が叩いたフレーズや友樹と一緒に作った音を、今のサポート・メンバーとライヴで演奏することで、ちゃんと生き残っているということを、みんなに伝えたいという思いで書きました。

──「歌い続ける限り、nano.RIPEは、死なない。」という一節からは、きみコさんの人生にとってnano.RIPEがこれまでよりも大きな存在になったことが伝わってきました。

もちろん、自分の中ではとても大きな存在で、そのために生きていると言っても過言ではないくらいのものだったんですけど、自分の中だけじゃなくて、あたしやジュン以外の人の中にもちゃんとそんなふうに大きく存在していることがわかって、今までだったら、あたしかジュンか、どっちかが“もうやめよう”となったら、それがやめ時かなと思っていたんですけど、そんなに簡単に手放していいものじゃないよなっていうのは、すごく感じるようになりましたね。

──「ゆうきのきのみ」というツアーは青山さんの追悼という意味も込められているんですよね?

追悼という言葉にしちゃうと重たいんですけど、“友樹が残してくれたものはちゃんとあるよ。もう会えないところにいるけど、ちゃんと残っているよ”ってことを知ってもらうことを一番に置いたツアーにしたいと思いました。当時の音や雰囲気に近づけるために今回だけ、アベノブユキに戻ってきてもらいます。そうですね、追悼と言うよりは、nano.RIPEのステージを見て、目の前で叩いてはいなくても、友樹が叩いていた頃の記憶があるからこそ、nano.RIPEは今も歌えているってことを伝えるツアーにしたいと思っています。

──そのためにツアーを組んだんですか?

そうです。春は元々、恵比寿LIQUIDROOMでワンマンライヴだけやるつもりだったんですけど、これまでいろいろな土地をnano.RIPEは回ってきたのに東京だけっていうのはと思って、東京、名古屋、大阪、そしてゆかりのある金沢の4ヵ所を回ることにしました。本当は47都道府県回れたらよかったんですけどね。

──青山さんが残したものを伝えるツアーにしたいとおっしゃいましたが、どんなライヴになったらいいと考えていますか?

ライヴでツアーを開催することを発表した時にも言ったんですけど、追悼という意味もあるけど、みんなを悲しませたいわけではなく、“友樹って楽しそうにドラムを叩いてたな”とか、“この土地ではこんなことがあったな”とか思い出話をするような、そのくらいライトなと言うか、とにかく楽しかった時のイメージを残したいと思っています。訃報だけ聞いただけでは悲しい気持ちがずっと残ってしまうので、そういうイメージを払拭するじゃないですけど、悲しい気持ちばかりが残らないように変えたいなと思っています。


「アイシー」は忘れることが決して悲しいことじゃないという前向きな気持ちを込めて歌いたい

──そのツアーでは「アイシー」は演奏するのでしょうか?

もちろん、演奏します。

──どんな思いの下、作った曲なのでしょうか?

実は、元々、「アイシー」というタイトルの曲がデモの中に埋もれていたんですよ。ここ最近、ジュンと曲を作りながら、埋もれている曲だったり、「アイシー」は時期的にはそれよりも前なんですけど、友樹と作りかけて、まだ完成していない曲だったりを、ちゃんと完成させていこうということも考えていて、その中で「アイシー」という曲を思い出してと言うか、また出会って、“これって、あたしが今歌いたいことに近いな”ってところから、メロディーも歌詞も書き直しながら作っていきました。

──ということは何年前ぐらいからあったんですか?

友樹が加入するちょっと前にデモを録ってたから、12年ぐらいかな。『ピッパラの樹の下で』の時もそうだったんですけど、昔に書いた曲が今のあたしが歌うべきものになっているってことがあって、昔の自分からのプレゼントみたいな気持ちになるんですけど、「アイシー」もまさにそういう曲で、あの時、ちゃんと完成させなかったことには意味があって、それは今、友樹のことも含め、ここでこういうことを歌うべきなんだっていう。そういう曲を、昔のあたしがくれたんだって気がしています。

──最初、聴いた時に、歌い出しが〈今も会いたい人がいる たったヒトリだけ〉なので、青山さんのことを歌っているんだろうなって思ったんですけど、聴き進めていくと、そうじゃないですよね。それで、さっきの恋愛ソングの話になるんですけど。

なるほど(笑)。

──バラードと言える曲調だし、やっぱり恋愛ソングなのかなって(笑)。

どう聴いても、そうなんですけど、当時書いた、この〈たったヒトリ〉が誰のことかわからないんですよ(笑)。でも、それがまさにこの曲が言っていることなんです。その時は〈今も会いたい たったヒトリ〉と思っていたとしても、いずれ忘れてしまうんだっていう。だから、今、それが誰なのか思い出せないのかなって思うんですけど(笑)、人間の忘れる能力ってとても大事だって、よく言うじゃないですか。思い出が美化されるのも心を守るためだって。確かに悲しかったり、苦しかったりしたこと全部を憶えていたら押しつぶされてしまうから、忘れることも大事だと思うんです。この曲は友樹のことを経て、最終的に完成させたんですけど、忘れることが決して悲しいことじゃないという前向きな気持ちを込めて歌いたいんです。

──忘れていても、何かのきっかけで思い出せばいいし。

そうですね。忘れてしまうことは別に悪いことじゃないと思うんです。忘れることが自分にとって大事な時もあるし、“忘れちゃいけない忘れちゃいけない”って思い詰めることが逆に苦しい時もあるし。あたしも友樹が亡くなってしばらくは、毎日のように考えていたんですけど、段々、考える時間って少なくなってきたし、夢に見る頻度も減ってきたし。でも、そうじゃないと、残された人たちはいつまでも辛いじゃないですか。

──ところで、アコースティック・ギターのコード・ストロークがとても耳に残りますね。

ありがとうございます。

──きみコさんが?

いえ、ジュンです(笑)。でも、ジュンもアコギを録り終わったとき、初めて自分のアコギに満足していました。ジュンはアコギのストロークが苦手だったんです。元々、ジュンは左利きなんですけど、書くこととお箸は小さい頃、右に直されて、でも、フォークとか、消しゴムとかは左で、けっこう両利きなところもあるんです。だからギターも最初から右利き用を買ったんですけど、利き手としては左のほうが動くので、(右手でやる)ストロークはちょっと苦手で、“左手だったらもっと動くのに”と言いながら、ずっと練習していて。その成果なんでしょうね。今回、「アイシー」を録って、“オレ、アコギすごくうまくなった”って満足していました。

──ライヴではきみコさんがアコギを弾くんですか?

いえ、たぶんエレキでやると思います。

──音源とはまた違う感じになりそうですね。

もう少しがっつりとしたバンド・サウンドになると思います。

──ギター・ソロの後の〈今日だって明日だって今だって何も忘れずにいられないけど 本当はわかっているんだよ 涙の正体は〉というところは、感情が溢れるような歌が聴きどころではないかと思うのですが、がっつりとバンド・サウンドになるというライヴでは、さらに際立ちそうですね。

はい。たぶん、もうほとんど叫ぶような感じになるんじゃないかなと思います。まさにここが“I see”なんです。本当はわかっていたのに認められなかったことを、ここでやっと“そうそう。ほんとはわかってた”って認めると言うか、自分の心にやっと相槌を打てるようになると言うか。大切な人がもういないと認めることは、やっぱり誰にとっても苦しいことじゃないですか。だから、そうですね、ここは「アイシー」という曲の一番のキモになっていると思います。

──歌詞の中で、忘れていたことを思い出すきっかけが匂いというところがいいなと思いました。

音楽を含め、記憶を呼び起こすものがいくつかあって、匂いもその1つだそうです。確かに、それはすごくあるなって思います。悲しいことを経験した時に、それが春だったら、春の匂いを感じた時に、ふとその経験を思い出したり、シャンプーでも柔軟剤でも何でもいいんですけど、普段、生活しながら、そういうふうに匂いがきっかけになって、記憶が蘇ることってよくあるなって。

──今、シャンプーと聞いて、はっとしました(笑)。

季節の匂いって言うと、ふわっときれいで、ちょっと詩的な感じになりますけど、たとえば、すれ違った人のシャンプーが昔、付き合ってた人と同じだったって言うと。


今は、いっぱい味方が、仲間がいるんだって思いながらやっているので、ライヴが今まで以上に楽しい

──そのほうが生々しいですよね(笑)。ところで、曲作りに取り組んでいるそうですが、もちろんリリースを視野に入れているわけですよね?

そうです。具体的に、いつリリースするかまだ決まっているわけではないんですけど、いつでもリリースできるように進めています。すでにアルバムを1枚作れるぐらいの曲はあるんですよ。

──えっ、もうそんなに作っているんですか。

そうなんです。それぐらいのペースで書いていこうと思っていて。

──そこからさらに作っているわけですね?

どんどん書いて、いい曲を上から選んでいって、“こんなにいい曲も入らないんだ”ってくらいの精度のものを出していこうと思っています。もちろん、いろいろなバランスは見ながらだとは思うんですけど。

──じゃあ、いい曲を書けているという手応えは……。

あります。さっき“自分のためだけに歌っているんじゃない”って思うようになったと言いましたけど、そういう気持ちを曲にすることも含め、今までやったことのないことをやったりとか、ジュンは元々、好奇心が旺盛なので、こういう曲も作ってみよう、こういう曲も作ってみようって、今までnano.RIPEでやってこなかったような曲を作ったりとか、21年目でもまだまだ新しいことに挑戦できるっていう中で、今までやってこなかったけど、こういうのもnano.RIPEにハマるねっていうのも見つけられているんです。

──歌詞もこれまで書いたことがないようなものがあるんですか?

そうですね。らしいものも残しながら、広げていくと言うか、一番の芯は今までのきみコと変らないんですけど、こっち側も、こっち側も書いていこうって書いているので、ど真ん中も書いているし、“えっ、きみコがそんなことを言うんだ!?”っていうのも書いているし。今まさに書いている途中で苦しんでいるんですけど、歌詞を書き始めてから初めて楽しいよりも苦しいが勝っているんですよ(笑)。

──初めて?

はい。歌詞を書くとき、あたし、楽しくて楽しくて、最後の1行残しちゃうぐらい、ああ、書き終わっちゃうのもったいないって言いながら書いているんですけど、今書いている歌では、さっき言った“あなたのために”歌おうと思っていて。でも、それって自分が今まで歌ってきた歌をある意味、否定することになるので、それが苦しくて。否定するに至った経緯まで、ちゃんと歌っちゃうと説明くさくなっちゃうので、そのバランスを含め、苦しんでいるんですけど、この曲では絶対、ちゃんと今のきみコがここに辿りついたことを書き残したいと思って、美しく書くんじゃなく、うそ偽りなく書きたいと思いながら書いています。

──もしかしたら、“心がじわりじわりとえぐられている”というツイートは、その曲のことですか?

そうですそうです。あと2行ぐらいなんですけど、そこに今、苦しんでいます。

──『ピッパラの樹の下で』は、ひょっとしたら物議を醸すんじゃないかというくらい強い言葉の歌詞が多かったじゃないですか。今、作っているという新曲の歌詞は、それよりも強い言葉になりそうですね。

そういう曲もあります。

──それは楽しみです。今日、お話を聞かせてもらうので、『ピッパラの樹の下で』を聴き直してみたんですけど、すごくいいアルバムですよね。

そうなんですよ、本当に(笑)。あのアルバムを作って、ツアーを回ったとき、また繰り返しになってしまうんですけど、このアルバムが作れたのは、ジュンとあたしだけの力じゃないなって、すごく感じたっていうのはありますね。2人ぼっちになってちょっと心細いと思ってたんですけど、全然、2人ぼっちじゃなかった。特に、それでもnano.RIPEを応援しつづけてくれているお客さんがとても心強くて、なんかもうメンバーみたいな感じなんですよ(笑)。好きだから見に来てくれている、会いに来てくれていると言うよりは、自分もnano.RIPEの一部という気持ちのほうが強いんじゃないかなって思います。“自分たちが行かないと、みんなで一緒に歌う、ああいうライヴにならない。そういうライヴを作ってきたのは、自分たちだ”っていう誇りがお客さんの中にもあることがすごく嬉しいんですよ。

──そういうお客さんがいるバンドって強いですよね。

リズム隊の2人が脱退して、2人になったとき、ちょっとリリースが空いたら、お客さんから“リリースの方法っていくらでもありますよ”って言ってもらえて(笑)。“会場限定でも僕ら買いますよ”“今、自主でこういう動きしてる人たちもいますよ”って。そういう人たちなんですよね(笑)。

──ハハハハ。それも含め、今日お話を聞かせていただいて、21年目のnano.RIPEがより一層楽しみになりました。

友樹のこともきっかけの1つなんですけど、今は、いっぱい味方が、仲間がいるんだって思いながらやっているので、2人になってすぐの“心細いね”という感じは、もう全然ないんです。だから、最近、ライヴが今まで以上に楽しくて、ステージでも笑ってばかりいるんですけど、これからもっともっとそういうふうになっていくんだろうなって思います。