「NEO FANTASIA」アルバムレビュー(総括)
クリエイターの代弁者であり、最も自由な論客でもあるレビュアーとして、実に矜持が試される一枚だった。茅原実里のアルバム『NEO FANTASIA』は「新たな夢の国」とも訳せる明確なテーマが存在するものの、それを受け止める側に強要していない。ここで歌われている「自己解放」「幸福」などの様々な普遍はテクニックとして語ることもできるし、もっと分かりやすくサウンド面を某遊園地になぞらえて各曲を解説することも可能だ。ただ、『NEO FANTASIA』には確実に「普段は意識しないこと」に我々の目を向けさせる力がある。要はそれと真正面から向き合うかどうかは聴き手次第……というわけだ。具体的に言おう。『NEO FANTASIA』はこれまでの作品よりも〈暗い〉のだ。それは〈むき身〉という言葉にも置き換えられる。これまでも胸襟を開いて自分の感情を歌でファンに伝えてきた茅原実里だが、今作はその色味をより濃くしている。いろいろなベールで装飾はしているものの、自身の〈正負〉を等しく見せているのだ。ならば受け手も、すべてをさらけ出すつもりで作品に臨もうではないか。むき身にはむき身の聴き方を。その先に今まで気がつかなかった「新たな自分」が待っていることは、言うまでもない。
01: The immortal kingdom
日常から非日常へ。“夢の場所は 誰の中にもあるよ”というフレーズが心強い。茅原実里というアーティストが生み出す作品群は、常にファンと共にある。喜びや感謝、迷い、不安、悲しみ、何もかもすべての感情を、彼女は一人の人間として音楽で表現してきた。僕たちは深い部分で互いを分かり合えている。これまでの積み重ねにそう思わせる説得力がある。だから「The immortal kingdom」は茅原実里がまたも僕らを大きな愛で包んでくれることを容易に想像させる、幸せのプレリュードに聴こえる。アルバムの入り口に相応しい多幸感に満ち溢れていて、夢の国の扉がゆっくりと開いたその先が、金色の光で包まれていることを確信させるのだ。
02: TREASURE WORLD
ゴージャスなオーケストラ編成からゴージャスなビッグバンドへ。大胆にサウンドを切り替え、ガラリと雰囲気を変えてきた繋がりに少々面食らった「TREASURE WORLD」は、とことん陽気なステージソング。扉を進んだその先に、いきなりマジカル・ショウタイムが用意されていたという感覚だ。茅原実里の突き抜けた明るさをここまでストレートに感じられるのも珍しい。“恥じらい捨てて 深呼吸したらLets Go!!”。そうそう、夢の国へと飛び込んだからには我々も照れは捨てたほうがいい。このアルバムは約60分。その間くらいは我を忘れて楽しんでいこう。聴き手をさらに作品世界へと誘う役割を背負ったリードトラックを、茅原実里が自ら作詞している意義も忘れてはならない。
03: SELF PRODUCER
そしてハッピーなロックナンバーへ。“思い通りに恋しよう”の頭サビからして前向きすぎて、快活な女の子の姿を想像せずにはいられない「SELF PRODUCER」だが……そうか! 僕たちは今、茅原実里が作り出した世界でデートを始めたところなのだ。隣は自分のことを好いてくれている、まだ見ぬ誰かでいい。あるいは茅原実里と一緒に……。これこそ妄想以外の何ものでもないのだが、M2で恥じらいを捨て音楽を楽しむ準備ができた僕らはすでに無敵状態。サウンドと歌詞に感化され、あらぬ想いを抱いたところで罪にはならないだろう。男性なら恋する女の子を、女性なら恋する自分を自由に想像すれば良い。夢の国はやはり、愛する人と歩きたいのだ。
04: TOON→GO→ROUND!
明らかにメリーゴーランドにプラスαの意図を加味したタイトル「TOON→GO→ROUND!」。それにしてもいかにも高速回転していそうな雰囲気ではないか。スピード面で大きな変化をつけてきたM4は、音楽制作集団I’ve特有のデジタルサウンドで電子の歌姫・茅原実里を演出。ちなみにI’veサウンドと言えば〈トランス〉〈ダンス〉〈ギターロック〉などのキーワードが浮かぶが、今作はこれらの要素を巧みに組み合わせながら、歌詞にもある“ピクセル”感が際立っている。大画面のLEDディスプレイ上で、時に処理落ちするほどの超速度で茅原実里のアニメーションがGO-ROUND。高速回転はいくつもの円軌道となって、こぼれ落ちるドットと共に幾何学的なファンタジーを形成していくのである。
05: 1st STORY
楽しさがMAXを迎えたときにふと訪れる、心穏やかなひと時。夢の国に足を踏み入れて以降、じわじわとスピードアップしてきた鼓動を一度落ち着かせる役割を、この「1st STORY」は担う。隣に大切な人の体温を感じながら、自分の足元を見つめたり、天を仰いでみたり……うしろを振り返ってみたり。茅原実里が手掛けた詞は具体的で映像的だ。しかし僕たち聴き手はどの名詞にも、動詞にも、形容詞にも自分の想い想いのシーンを当てはめることができる。人には歴史があり、それぞれの経験があるからだ。だからこそであろう。過去も未来も現在も、あなたのすべてが“かけがえない愛の物語”と歌われると切なくなる。そんな彼女の温かな心、優しさが逆につらい。爽やかで清涼な風を感じつつ、心のどこかがえぐられてしまう。
06: endless voyage
90年代ユーロトランス、最先端のEDM、テクノポップなどのエッセンスを要所要所に取り入れたサウンドが抜群にハイセンスなデジタルチューン。2012年以降、新手の音楽制作集団としてすっかりシーンに定着しているArte Refactだが、自分たちの個性を存分に発揮しつつ、この「endless voyage」を100%〈茅原実里のデジタルロック〉に仕上げてきた技量に脱帽だ。アルバム中盤を構成するメロディアスなパートにおいて、茅原実里の声に含まれた独特な憂いが〈速めの〉アレンジと〈遅めの〉メロディの組み合わせによってますます際立ってゆく。倍音の塊が面となって迫ってくる彼女の発声は、こうした言葉数の少ない楽曲でより特徴的になるのだ。明るさの中に潜む叙情ではなく哀愁。絶妙なニュアンスを突いた良曲である。
07: 真白き城の物語
アルバムの折り返しは真っ白な世界を歌った「真白き城の物語」。いつかどこかにあった、失われた小国を想起してしまうのは妄想の行き過ぎだろうか……。郷愁をそそるゆるやかなメロディ。アンニュイなストリングスとアコースティックギターの響きは中世の景色を感じさせ、コーラスはまるで教会にこだまする天使のささやき。そしてフルートがほんのりとファンタジックな情緒を醸し出している。冬の湖畔、静寂に包まれた無人の古城に少しずつ春が訪れる、優美で繊細な時間。天空から降り注ぐ茅原実里の声によって紡がれた“命の賛歌”は、確実に僕らを異世界へと誘い、次へと繋がる物語へ連れ去っていくのである。
08: Celestial Diva
静謐なイントロからのストリングス解放。こうして繋げて聴いてみると、M7からM8の流れはまるで壮大な中世ファンタジー活劇の序章〜第一章のようだ。静寂から激動へ。優しさから勇壮へ。ALI PROJECT宝野アリカが作詞し世界を作り上げた「Celestial Diva」は、茅原実里が戦場を舞台にプリマドンナを演じる物語。亡国の歌姫が天を翔け昇る姿そのもの。サウンド面でも〈中二病〉というワードを肯定的かつ意図的に操るElements Garden上松範康にこうしたコンセプトを提示すれば、どこまでもファンタジー性を追求してくれようというもの。ここまで劇的に映像的な一曲になったことにもうなずけよう。
09: Lonely Doll
そしてアルバムは再びバラードへ。ここまで〈二人〉を歌うことがほとんどだった今作において、どこまでも〈孤独〉な一曲となっている。M7から続く一連の流れを物語として受け止めれば、戦いの果ての虚しさ。愛する人を失った女性の悲しみが伝わってくる。平和を直接賛美するよりも、あえて喪失を表現することが平時の尊さを際立たせるのだ。一方で〈作詞/作曲 茅原実里〉というクレジットに着目したとき、博愛を感じさせたM5とは対称的な世界が描かれていることに驚く。「Lonely Doll」の「Doll」には、彼女の強い想いが込められているはずだ。これは、不安。どんなにパートナー(=ファン)と愛を分かち合えたとしても、ふと訪れる孤独の闇が、氷の微笑をもって〈それは幻想だ〉と囁くのである。だが、それを乗り越えるのも愛の力。この曲は、茅原実里と僕らの絆を試す荊でもある。
10: この世界は僕らを待っていた
いつのまにかアルバムの世界に没頭し、思案に耽っていたところに吹き込んできた涼やかな潮風。「この世界は僕らを待っていた」のイントロが、僕たちが夢の国を旅している途中だということを思い出させてくれる。明らかにM5〜M9の中盤とは異なる雰囲気が、歌い手の弾むような歌唱からも伝わってくる。“君とならどこまでも行ける 駆け抜けるよ 心は自由”という言葉に、先ほどまでの悲壮感はない。感情の浮き沈み……つまりは矛盾こそ人間。そしてそれを音楽というカタチにして表現する茅原実里のむき出しの心根に、ドラマチックな感動を覚える。さあ、これからこのアルバムはクライマックスへと向かっていく。煌びやかに輝いて、白い霧に包まれて、そして再び太陽の光が差し込む。第三の扉が開かれたのだ。
11: ZONE//ALONE
〈風〉の次は〈炎〉である。太陽よりも熱いハートで、愛を求め追いすがる「ZONE//ALONE」。常に孤独と隣り合わせの人間の心にあって、ここまで力強く前向きに振り切れる根拠とはなんだろう……。まるでライブ時のように自然と鼓舞され上下にリズムを刻んでしまう自身の身体に少しの快感を抱きながら、そんなことを思ってしまう。だが、これは明らかに考えすぎなのだろう(苦笑)。“無力な事実 重ねれば真実”というワードがすべてを吹き飛ばしてくれる。信じ続ければ、その想いは銀河をも超えるのだ。このロジックに矛盾は一つもない。M9で感じられた不安は、完全にここで払拭された。アルバムを一つの物語として捉えれば、実にニクイ演出だったと笑われずにはいられない。あとはこの夢の国の果てに何が待っているのか、前進するのみである。
12: 境界の彼方
その先にあったのは、〈希望〉。疾走感溢れるサウンドに乗って、茅原実里が僕たちに人の真理を示してくれる。涙が溢れてくるのは、そんな正直すぎる心根を抱くことが、逆にこの世の生きづらさをあぶり出してしまうからだろうか……。今は夢の国の途中である。だがしかし、僕らが頭の中で思い描く夢の国はそれぞれが帰属する現実世界と切っても切り離せない。そんな常識を易々と切り裂いてくれる彼女は間違いなくアーティストであり、「境界の彼方」を知る者なのだ。それにしても、渡辺シュンスケによるピアノの泣きっぷりと言ったらなんだろう。間違いなくこの音は〈駆けている〉。ここまで人の感情を色鮮やかにしてみせる音の力にワクワクするのも、この曲を楽しむ一つの方法だ。
13: NEO FANTASIA
アルバムタイトルを冠した「NEO FANTASIA」。まるでこれからオーケストラ・コンサートが始まるかのような緊張感をもたらすイントロから、〈ロック〉〈エレクトロニカ〉〈民族〉そしてその〈シンフォニー〉を見事に調和させた壮大なサウンドが広がり、僕らの意識はまだ見ぬ世界へと飛ばされる。〈希望〉のさらにその先にあったのは、人の理を超越したエリシオン。神々に愛された人間が集う至福者の島が、今アルバム(=夢の国)の到達点である。アルバム終盤の疾走がオケアノスからエリシオンへと渡る旅だったのだと、M10に無理矢理な符合を持たせてニヤリとしながら、アルバム最大のテーマが〈夢の国における至福〉であったと思い至る。なんという一貫性……様々な正負の感情を表現することで、僕たちを愛と平和による幸福の世界へ連れて行く。これはM1のときに感じた茅原実里がアーティストとして積み上げてきた歩みに対する信頼と寸分も違わないではないか。思わず天を仰いでしまった一曲である。
14: Neverending Dream
非日常から日常へ。でも約60分の夢の旅は、僕らの心に確かな足跡を残していった。何かが芽生え、何かを変えられそうな予感。「Neverending Dream」というタイトルどおり、夢を終わらす必要はない。大切なのは〈信じ想い続けること〉だということは、今アルバムを通して十分に学んだことだ。それに茅原実里もまた“会いにいくよ”と言ってくれているではないか。この木管楽器と金管楽器が心地よい静かなフィナーレは再会を約束した別れであり、つまりは待ってくれている人がいるという、最高の幸せの調べなのである。